2010年10月31日日曜日

長崎ちゃんぽん


B級グルメ大好きなMachi。
突如、「ちゃんぽん食べたい!食べないと死ぬ!」という衝動に駆られて、本日サンノゼのリンガーハット行ってきました。

ウマ〜B級〜

ごまが頼んだ皿うどんも懐かしい味がしました。

デザートのクレープも、おいしかった。

ハロウィンは、予定していたごまのお友達のぱーちーがキャンセルになり、家にいるとマンションの子供達のTrick or Treatにあうため、逃げるように出かけてリンガーハットで終わったという。

2010年10月27日水曜日

ビザのお話④:ビザ問題のゆくえ

さてある日のこと。
弁護士さんから連絡をもらいました。

「グリーンカードの処理がすごい勢いで進んでる。すでに今年の4月に申し込みした人の処理に入ってる。だからあなたのグリーンカードも来年には発行されるのでは」

ほえ?んなわけないでしょ。ここ10年以上、ずっと同じ状況だったんだから。

お願いしているシアトルの弁護士さん、今までのやりとりを通してあまり信用できなくなっており、また変なこと言い出したよこの人、と深く考えない。

でもちょっと気になって、USCIS(US Citizenship and Immigration Services)のホームページを見てみた。
ん?なぜだか発行までの時間が6ヶ月になっている。今までは5年だったのに。
USCISに電話してみると、「いつ頃発行されるかはtravel state governmentのホームページを見てくれ」と言われて、アドレスを教えられる。

サイトからたどったファイルをみてみると、何年何月に、いつ申し込まれたアプリケーションを処理してますよ〜という情報が確認できます。
http://www.travel.state.gov/pdf/Cut-off_Dates_worldwide_online.pdf
私は配偶者によるGCなのでF2Aというカテゴリー。それを見てみると。。

あれ、確かに、今月10月は今年の4月に申し込んだ人を処理しておる。
過去の月を見てみると、今年の1月の時点でやっとこさ2006年の1月に申し込んだ人がプロセスされている。去年の10月にいたっては2004年に申し込んだ人。
今年の5月頃から急に処理が加速されているのは間違いないみたい。

これが今月だけだったらプリントミスで片付けられるけど、数ヶ月続いておる。
これに従うと、年内には私のアプリケーションがプロセスされる?

本当かいな?
という感想が正直。

だって今まで一度もこんな状況見た事ないし、5年かかってやっと取りましたって話ししか聞いたことなかったし。


色々記事をあさると、アメリカ大不況のせいで、グリーンカードを放棄して自分の国に帰った人が多く、特に家族として申し込んでてなかなか順番が来ないから諦めて帰った人が去年だけで一万人以上。
そんなわけで、一気に順番が回ってくることになったのでした。


あまりに突然の状況変化で、びっくりどうしようって感じだったのですが、冷静に考えれば、もうビザの心配をしないで良い、ドラクエ好きなだけやっても良い、という、とても嬉しい状況になったことがわかり、一気に気持ちが緩みました。


もちろんまだ発行手続きに入っていないので、それまでは自力でビザ保持の必要があり、学校をちゃんと終わらせてOPT期間に入る必要があります。なのであと1〜2ヶ月は気が抜けない感じですが。



今まではGC申請中で下りるのは5年後というと、「どっかあればいいですけどね〜」「やっぱりビザ持ちの人優先ですからね〜」と完全に上から目線だった就職エージェントが、急にお仕事を次々と紹介してくるようになりました。


エ:「サンノゼで非常に良いお仕事が。。」
Machi:「遠いので無理です」
エ:「サンタクララのお仕事が。。」
Machi:「遠いので無理です」
エ:「バーリンゲームのお仕事が。。」
Machi:「いや、もう今はいいです」
エ:「じゃあ家から通えるサンフランシスコで探しますので!」
Machi:「。。。」


労働ビザがあるってだけでのこの態度の急変ぶり。。。
とりあえず、ビザ問題が解決するなら、慌てて仕事を探す必要もないので、一旦全てのエージェントと連絡を絶つことにしました。
彼らもお仕事で紹介業をしている以上、仕方のない変化ではあるのですが。。

来年の2月のOPTから無理してフルタイムで働き続けないでも、GC下りるまでのつなぎとしてボランティア程度でしのごうかな、とか、気分はしばらくお休みしたいモードになっております。

2010年10月22日金曜日

ビザのお話③:状況は難し

さてさて。
GCカード申請中というのがどれだけ微妙な状態かよく理解し、その中でできる最善の方法として、学校(F1)→OPT(F1)→就職(H1B)を目標とすることにしたのでした。

で、今年の1月から学校に通い始めてから、色んなエージェントに連絡を取って、お仕事探してもらいました。

よくわかったのが、「日本語がしゃべれる」っていうのは、ここベイエリアではかなり大きなアドバンテージだということ。日系企業も多いし、日系企業を対象にした会計事務所とかシステム会社とか、数はかなり多いです。
そういう企業をあたっていけば、日本人であってもビザサポートをしてくれる企業が少しはあるかも、という希望が出て来ました。


ところが。


そういった日系企業のほとんどが、San JoseやSanta Claraなどのサウスベイなんですよね。
私が住んでいるBerkeleyはイーストベイ。

「ベイエリア」と一言で言っても、イーストベイのBerkeleyからサウスベイのSan Joseまでは、高速使って混んでない場合で片道約一時間。

朝晩の渋滞なんて考えると、毎日通勤はかなりしんどい。。

ごまは、「南にお仕事が決まるならもう少し南に引っ越してもいいよ」と言ってくれましたが、そうすると今度はごまの通勤が大変になる。

そもそも私がごまと結婚してこの地に住むことを決めたのも「ごまのお仕事を支えたい!」って気持ちからであったわけで、それなのに私のせいでごまの仕事の負担になるなら、本末転倒じゃないか?!

学校行ったりCPAの勉強したりお金だけかかるわりに、還元する方向は全然見えない

私がこの地にいる意味は。。

帰った方がいいのかも。。

という負のスパイラルに陥ることも度々。



でもまあ性格的にどうしても「何かを諦める」ことが苦手で、辛いながらも「でも頑張ればなんとかなるかも」と心のすみで思ったまま、学校は最終学期に入り、そろそろ来年のOPT期間で働く企業を決める時がやってきたのでした。


と、ここで大事件!


続く。

2010年10月19日火曜日

ビザのお話②:さてどうするか

というわけで、昨年7月、これから自力でアメリカに5年間滞在しないといけない状況に追いやられました。

で、検討した結果。
一年のコースに通ってそこからOPT(お試しで一年働ける)を取って、ビザサポートしてくれる企業を頑張って探しましょう、ということになりました。

一年のコースとしては、UCBのextensionにあるPost Bachelorというコースなら、TOEFLの点と職歴と簡単なエッセイで入学可能、大学卒業者のみを対象にしているからビザの問題もOK、まだ受付もしてる、ということで、あわててTOEFLを受け、入学申し込みへ。



こうして、ごまとの新婚生活は、フルタイム学生としてスタートしたのでした。



で、私が通っているコースは、現地で働いている人達が夜間に通う学校なのです。
なので、クラスメートのほとんどが職をもっている人。
彼らのスキルを見ていると、ああ、やっぱりシリコンバレーで働くにはこれぐらいのスキルがないとだめなんだなあと、壁を感じる。
ビザサポートされてる外国人と話すと、景気が良かった数年前では、割と気軽にH1-Bサポートしてくれる会社もあったけど、かなりの人が首を切られて自国に帰らされたし、ビザサポートはしないと決めた企業も多いそう。


そりゃそうだよねえ。。


しかも万が一ビザサポートされたとしてもその後私は働き続けなくちゃいけないわけで、日本に気軽に帰ることもできなくなるし、子供なんて絶対考えちゃいけないわけだし、、。。


と、悶々としながら学校生活を送り、日本で結婚式があったり、友達が遊びにきてくれたり、楽しいことも沢山ありながら、ビザの状況は相変わらずなまま時間が過ぎていきました。



この状況、なかなかに辛く、ごまに「無理だ〜!!」と愚痴を言うも、「俺だって苦労してアメリカで頑張ってきたんだから頑張れ」と、身もフタもないお返事。
ま、そうなんだけどさ。。。



あともう一点補足すると、J1という、期間限定で働けるビザがあるのですが、そのビザは私の場合はNG。なぜならJ1はインターンビザとも呼ばれる非移民ビザのため、グリーンカード申請中の人間が取ろうとすると、移民の意志なしと見なされ、グリーンカードの申請を却下されます。。。



今回の件で、無駄にビザに詳しくなっていったMachiでした。


続く。

2010年10月18日月曜日

ビザのお話①:こんな状況でした

ビザのお話①

私のビザはF-1。

なぜかというと、夫がアメリカ人でなくグリーンカードを保持している場合は、奥さんにグリーンカードが下りるのは約5年かかり、グリーンカードがおりるまでは、自力でビザを調達しないと、そもそもアメリカにいられません。
なので、私は一番簡単な方法として、学校に通うことでF-1&I-20を調達することにしました。

この約5年というのは、アメリカ人以外の家族向けの年間のグリーンカード発行数が決まっており、順番待ちがあるから。
ちなみに、夫がアメリカ人の場合は発行数の上限がないため、1年でほぼ誰でも取れます。

ごまは日本人ですが、私と会うちょっと前にグリーンカードを申請して、私と結婚するちょっと前にグリーンカードがおりました。
もし、私と結婚した後に一緒にグリーンカードを申請していたら、二人ともすぐにおりていたので、タイミングとしては、最悪でした。

同じケースの多くの日本人夫婦は、奥さんのグリーンカードがおりるまで奥さんは日本に住んで5年間離ればなれで暮らすのを選択するようです。たまに、奥さんが頑張ってアメリカの学校に5年間通い続けたというケースも。でもお金もかかるし奥さんは他に何もできなくなるし非常に生活が大変だったようです。



これってひどくないですかい?


H1BやF1やL1の場合は、少なくても奥さんが滞在できるビザはおりるのに、GCの場合は滞在すらできないなんて。


ごまと結婚することが決まった後、最初にこれを知った時は、二人して、本当に落ち込みました。

カリフォルニアに引っ越してのんびり〜と好きなことをして生活しようと思い描いていた生活は全部白紙。
5年間、どうやってビザを保持するか、それを第一に生活を組み立てなくてはいけなくなりました。


弁護士さんと相談すると以下のことが判明。
まずF-1と言っても、語学学校はNG、日本で大学を卒業しているため今からコミカレに通い出すのもNG。
大学院か博士課程に入るか、どこかの企業に就職してH1-Bを取りなさいと言われました。

そりゃ。。ビザ的にはそうなんだけど、そんな簡単に言わないでよって感じですよね。
こちらの大学院〜博士課程に申し込むには、出身大学の教授などの推薦状3通にTOEFL&GREのスコア、さらにエッセイ数本が必要。みなさん、一年前ぐらいから準備をされて申し込むもので、行きたきゃ行けるってそんな簡単なものじゃない。
アメリカの大学や大学院を出た人でも、H1-B取りたくて取れないで帰っていった人がいかに多いことか。しかもここ最近の不況でH1-B発行数が激減していて、そもそも外国人にビザを出してまで雇いたい企業なんてそんな簡単に見つかりません。


これがわかったのは去年の7月頃でした。

続く。

2010年10月13日水曜日

フルーティーオリーブオイル

Machiはお料理の中で一番イタリアンが好き。作るのも食べるのも好き。

正直、結婚する前までいわゆる家庭的な日本料理って好きじゃなくて(寿司とかしゃぶしゃぶとかは大好き、煮物大嫌い、おせち料理は拷問)、ごまと結婚してから意識して作る&食べるようになりました。

でも、平日昼の一人ランチとかはもっぱらパスタやリゾット。
色々試して一人でニンマリ。

で、イタリア料理でもっとも大事なのが良質なオリーブオイルを使うことなのですが、どれがいいものかようわからん。
と言ってたら、イタリア系アメリカンの人にプレゼントしてもらいました。

今まで試した中ではベスト、とのこと。

これが使ってみてびっくり。とってもフルーティーでほのかに甘い。匂いもハチミツのよう。
特にそのままサラダやあえ物に使った時の味の違いがすごいです。

まあ、高いオリーブオイルってみんなこんなものかもしれないけど、CostcoでKirkland買って使ってた私にとっては衝撃でした。

2010年10月11日月曜日

イタリア系アメリカ人が好きなものって

先日のハイウェイ間違えて乗っちゃった事件以来、ハイウェイを見ると、なんだか乗りたくなるMachiです。
怖いもの見たさっていうけど、まさにあんな感じ。


昨日はごまちゃんの会社のCEOのおうちにご飯を食べにいくため、サンフランシスコまでドライブ。

CEOはイタリア系アメリカ人ということで、手作りニョッキと手作りパスタに自家製トマトソース!
ウマウマでした。
ごまちゃんと私を足してもまだ足りないぐらいの巨体の方が、いそいそとパスタを練っている姿を想像するとなかなかかわいいです。

行きの運転は私で良いとして、帰りはごまが運転してくれるのだろうと思っていたら、CEOと一緒に日本酒をごくごく飲み出すごま。
数時間後、二人して、頭が痛い、飲み過ぎた、外の景色はなんて素敵なんだ、と言って、ろれつが回らない状態に。

そんなわけで結局帰りもMachi運転に。

でもなんだかハイウェイが好きになってきた今日この頃。
でもまだ一人で車線変更はちょっと怖い今日この頃。


ちなみに、今度は我が家でジャパニーズを楽しみにしてるね、と言われたのですが、何作ればいいのだろう?
両親はイタリア出身ですが自身はアメリカ生まれアメリカ育ちらしいので、普段はハンバーガーばっかり食べているみたい。

アイデアある方、よろしくです。

2010年10月8日金曜日

死ぬかと思った

本日夕方、お寿司をOaklandに買いに行ったときのこと。

ハイウェイ運転がまだ怖い私。
ナビに従うと、ハイウェイに乗らされる。

なので、ハイウェイ乗りなさい指示を慎重に無視しながら、一般道を走る。

あと少しで目的地に到着かという時。



間違えてハイウェイに乗ってしまった!



そしてそして、降りようと思ったら、気づいたらサンフランシスコ行きのレーンに入っておった!!!


目的地まであと1マイルと言っていたナビが急に、「8マイル、そのままドライブしてください」と言い始めた。

あああああああああああ、、、、、あなたちょっと!


というわけで、大汗かきながらサンフランシスコまでベイブリッジを渡ってドライブ、サンフランシスコ着いてすぐに逆の高速に飛び乗る。
もはや高速が怖いとか言っている場合ではなく、乗らんと帰れないという状況に、無我夢中。
ってか、暗くなる前に高速終えないと、本気でサンフランシスコで夜明かしになる!

で、最終的になんとかオークランドで降りて、お寿司をピックアップしてバークレーに帰りつきました。




この体験を通してハイウェイが乗れるようになったかというと逆で、さらなる苦手意識がつきました。


でも人間死ぬ気になると、なんとかなるということも学びました。


もう一度同じ事しなさいと言われても二度としません。。

2010年10月4日月曜日

EADがやってきた

本日、労働許可証EADカードが届きました。
3週間前に申し込んだばかりなのに、予想より全然早いです。

どうやら不況のせいで、アメリカで働きたいわ〜って人が減っていて、グリーンカードやら労働許可証やら、従来より早くプロセスされているみたいですね。
アメリカ、外国人をつなぎとめるのに必死。。?

まだプログラムが完全に終わっていないので、働けるのは来年2月からなのですが、労働許可証が届いてないと年末の日本帰国も不安なので、ひとまず一安心。

っていうか、それより、職探しだべ。。。

2010年10月1日金曜日

車の運転

Machi用の車、買いました。
でも、昨日受けた運転の実技試験落ちました。

おーのーーー!!!!

近所のDMVで予約が取れなかったので、Doublinという普段行かないところで受けたら、4車線道路と最低45マイル出せという指示かつ夕方の時間帯での渋滞に巻き込まれ、かつ試験官のスパニッシュなまりの英語が全く聞き取れず、あわあわして、3分ぐらいで失格。

。。。。次は家の近くで受け直そうと思いますが、次予約取れるの11月中旬なんですけど。。

とまあ、試験は散々なのですが、日本の免許を持っているため、Temporary Licenseというのを発行してもらい、ひとまず運転は可能。

バークレー周辺は、車がなくても一応生活は可能ですが、やっぱり車があるに越したことはなく、行動範囲が広がって毎日一人でいそいそとおでかけ。


OaklandにGetaという激安ウマウマお寿司屋さんがあり、本日、ワクワクしながらランチを食べに。
新鮮なウニやらトロやらイクラやら沢山食べてもびっくりリーズナブルなお値段に大満足。
駐車場に戻ってさて、帰ろ〜と車を動かしていると、隣の車から出て来たおねえさんが何か話しかけている。



安全確認手伝ってくれてるのかな?
ありがと〜

と、出て行こうとすると、さらに近づいてきて、窓をコツコツたたいてる。


なんですか?


「あなた、罰金取られてるわよ」

え?

「ほら、車の前に紙がついてるでしょ?」


。。。。。。


のーーーーーーーーーー!!



。。。。


罰金と引き換えに私が得たお寿司。


前途多難です。